森博嗣『馬鹿と嘘の弓』(講談社文庫)

探偵事務所の所長小川令子と所員の加部谷恵美は不明の依頼人からとあるホームレスの青年を観察し日々の状態を報告する仕事を請け負うが、観察の過程で青年に接触した同じく住所不定の老人が急死し、その老人がなぜか小川たちが不明の依頼人から受け取ったものと同一の青年の写真を所有していたことから、この身元不詳の若者の正体をめぐる謎が深まっていく。

冒頭で登場する「社会学の本」が暗示する通り、事件の背後にあるモチーフとして格差や貧困、生きがいといった社会問題が取り上げられている。森のミステリーにはしばしば明確な動機を持たない犯人が登場するが、本作で掘り下げられているのはまさに個人の意思をこえた先にある社会の澱みである。ミステリーというよりは社会派のサスペンス小説に『森の生活』や『荒野へ』等のスピ的抒情性を足したような感じだが、理屈だけで中身がないチープな若者が登場し、しかも理屈だけで中身がない若者性を作者が美しいと考えて素直に提示しているのはいつものとおり。ただし本作では主人公加部谷の目を通して微妙に距離が取られているようにもみえる。探偵コンビのコメディタッチな掛け合いは相変わらず面白く、おそらく本シリーズの最大の見どころのひとつ。森博嗣のシリーズ作品のファンなら読んで損はない作品である。