安岡章太郎『海辺の光景』(新潮文庫)

 

故郷高知の精神病院に入っていた母親が危篤との報を受けて東京から帰ってきた主人公は、一年振りに見た母親の衰弱ぶりにいまさらのように狼狽するが、息子としての義務感から病院内で寝泊まりしてその死を看取ろうと殊勝な態度を見せるものの、以前からひとり田舎で妻のケアを担ってきた父親の前では後ろめたさをおぼえ、認知症が進行している母親からはいかなる人間的な反応もなく、医師や看護師が自分に向ける目はあくまで冷たい。窓外に広がる美しい岬の風景と院内で影のように生きる精神患者たちの姿を茫然と眺めながら、主人公は戦中から戦後にかけて、母親を狂気へと追いやった家族の記憶をなぞっていく。

人間性を喪失した家族の介護を問題としつつ、父親と息子の対立を描いているという点でカフカの『変身』と比較可能であるが、この物語で「虫」になるのは息子ではなく母親である。また、『変身』の主人公が虫になっても自分を家族の一員のままだと考え、失った地位を必死で取り戻そうと試みることから悲劇が生じるのに対し、故郷を長らく不在にしてから遅れて帰ってきた『海辺の光景』の主人公ははじめから余所者であり、局外者ゆえに一切の行為を禁じられているので当然ながら悲劇は生じず、主人公もそれを自覚したうえで出来事を見ているので物語にはひたすらな重苦しさがある。それではなにが主人公をこの場にひきとめ苦しめているかというと、それはすでに「家」を出て家族の関係が終わったのちも残り続ける母と子の関係なのである。この生暖かい経験の層が主人公の回想を通じて折り重なっていくが、これは平面上で玉突きをする具合に話が進行するカフカの小説には無論見られない。