日記 0906-0912

20260906 日記

日曜、曇り。8時半起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読み進める。

博論を執筆、10時から外出。

15時過ぎから図書館で翻訳を進める。

散髪をしてすっきり。

 

20260907 日記

月曜、くもり。10時起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読み進める。小説を書く際のフィジカルの重要さと画一的な学校教育の弊害について。

午前中は博論を執筆。やや停滞気味。

午後も博論を書く。結晶とはなにか? 結晶は分子の規則的配列によって定義される。

グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』を読む。ヨーロッパ芸術におけるマニエリスムについて、特に16、17世紀のマニエリスム美術と20世紀の現代絵画を往復しつつ網羅的に分析。本書で「マニエリスム」という用語は「古典主義的でない主観的な表現様式」くらいの非常に意味で用いられている。ポントルモやパルミジアニーノといった狭義のマニエリストたちはもちろん、ピカソやダリの絵画もマニエリスムなのである。マニエリスムの「主観性」を理論的に支えるのが俗流化した「イデア」概念であり、ここで議論はパノフスキーの『イデア』とつながる。とはいえパノフスキーの著作と比べると、スケールが大きいせいか、論述が総花的で、目が滑る。以前読んだ下谷和幸の『マニエリスム芸術の世界』が前提知識として役立ってくれた。

ドイツではザクセン・アンハルトの州議会選挙でAfDが大勝。ただし単独過半数には届かず。とはいえ得票率44%はこれまでの州議会選挙で最高だという。(フランクフルター・アルゲマイネ紙の記事を参照:Wahl in Sachsen-Anhalt:AfD siegt haushoch, verfehlt aber die absolute Mehrheit)ドイツの連邦州は政治的独立性が高いので、それこそ村上の言う学校教育から着実に変えられていくだろう。そしてそれは、村上が擁護するような子供たちの多様性、創造性を守るための教育では確実にないだろう。

中川純子『音読で学ぶドイツ語』を浚う。「彼の唇は青ざめていて、一言も話さない。私は彼の肩に私の手を置く。」は"Seine Lippen sind blass und er sagt kein Wort. Ich lege meine Hand auf seine Schulter." 

 

20260908 日記

火曜、くもり。9時起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読み進める。登場人物の造形と一人称小説について。筆記のオートマティスムについて、興味深い指摘。

10時半から読書会。良いアイデアをもらった。

午後から帰省。移動中に金井美恵子の短編「既視の街」を読む。

 

20260909 日記

家族で祖父母の家へ。

昔住んでいた街を歩いて回った。仲良くしていた猫の死を知る。

 

20260910 日記

木曜、くもり。11時起床。

博論を進める。

書き進めていた小説の第一稿が完成。

 

20260911 日記

金曜、くもり。8時30分起床。

帰省先から戻ってきた。移動中に翻訳を進める。ブロンテの『嵐が丘』を読む。

図書館で少しだけ博論を進める。

 

20260913 日記

土曜、晴れ。9時起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読む。せめて楽しもうの精神。

午前中に少しだけ博論を進める。

午後はかつてなく非生産的に過ごしてしまった。明日から挽回したい。

 

日記 0830-0905

20260830 日記

日曜、くもり。10時起床。外に出ると涼しい。夏の終わり。

ひきつづき風邪気味。NHK将棋杯は千田八段と吉池四段。吉池四段は色気があって男前である。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読み進める。主人公は札幌から東京へ戻ってくる。14歳の少女が旅の仲間に。ヴィム・ヴェンダースの映画みたいになってきた。

午後から博論。今日は調子がよく、良い文章が書けた。時々こういう日がある。

サイモン・クリッチリー『ヨーロッパ大陸の哲学』をはじめから読み返す。古代ギリシャの哲学において、世界についての理論的な知識と人生についての倫理的な知恵は切り離されてはいなかった。アリストテレスは宇宙が「目的因」に沿って、つまり何らかの目的に適合するように作られており、しかもこの目的は結局のところ人間の目的もあらわしていると考えていた。それゆえ世界についての知識は私たち人間が何であるかと同時に、どうあるべきかを教えてくれるはずだった。

新しく購入したラジオで村上radioを聞く。今日のテーマは「珍しい楽器で聴くジャズ」。7時開始なので、ちゃんと6時50分に帰宅してチューニングを合わせて聞いた。こういうのは楽しい。番組の最後に"The style is index of the mind."「文体は心の鏡」という言葉が紹介されていた。良い言葉ですね。

夜に小説を書く。博論と同じく、よく筆が進んだ。

 

20280831 日記

月曜、曇り。10時半起床。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』文庫版の上巻を読了。主人公がカフカの『審判』を読んでいると、二人の警察官がやってきて主人公を連行してしまう。

今日も風邪気味で微妙に体がだるい。内科に行って漢方薬をもらってきた。さらに皮膚科に行く。

その間に博論を少し進める。やや座礁気味。こういうときはテクストに帰るべきだろう。

というわけで夜は作家の翻訳にとりかかる。批評家論だが、天才論でもある。非合理主義と合理主義の対立がテーマになっているので、博論の内容とも関連しそう。

 

20260901 日記

火曜、くもり。10時起床。今日から長月。

村上春樹『職業としての小説家』を読む。これは朝の楽しみなので、長続きさせるために一章だけ読んだ。村上によれば小説家に必要なものは根気である。大事なことは、つづけること。

博論を進める。加速という概念には、到達も頂点もない。昨日は難航した箇所だが、やはり午前中は頭がよく回るのか、筆の進みがよい。明日も朝は執筆に当てたい。

パノフスキー『イデア』を読む。プラトンにおいて現象を超えたところにある形而上学的な真実在であったイデアは、キケロにおいて既に芸術家の精神のうちにある表象ないし直観となる。こうしたイデアは芸術のうちに「入り込む」美の原理であり、イデアを作品に表現することが作家のつとめとなる。ルネサンスにおける「イデア」概念もおおよそこれと同じで、キケロ以降の理論家たちはみな、プラトンにおいては芸術と疎遠だったイデア概念をなんとか美学の領域へと取り込もうとして努力している。この過程でイデアは反プラトン的なものに変わっていったのである。

Hunter×HunterはNo.419◇実践。自室を抜け出したツェリードニヒは、念能力「刹那の十秒(ラプラスデビル)」により周辺の厳重警備を潜り抜ける。たどり着いたのはカジノエリア。好きなキャラなので長生きしてほしい。

夜にAIとドイツ語で会話してみた。初めての経験。妙に緊張してあまり口が回らなかった、良い練習になるので、明日もやってみようか。

中川純子『音読で学ぶドイツ語』をひきつづきおさらいする。"Unsere Tochter will im August allein mit ihrem Freund nach Paris."で「私たちの娘は八月に恋人と二人きりでパリに行くつもりです。」alleinの使い方がおもしろい。(29/155)

 

20260902 日記

水曜、くもり。9時半起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読み進める。第2章では作者が小説家としてデビューするまでの経験や。デビュー当時の思い出が語られる。『風の歌を聞け』ははじめ生硬な日本語で書かれ、次に簡単な英語で書き直され、それを日本語へさらに「翻訳」して生み出されたらしい。一つの作品を書くということには、さらに何か偶然の天啓のようなものが働いていることがいくつかのエピソードを挟みながら語られる。

午前中に博論を進める。ふたたび書き直し作業。

夜は何もせず、早く寝る。明日は久しぶりの休み。

 

2026090 日記 22:27 

木曜、くもり。9時半起床。

村上春樹の『職業としての小説家』を読みすすめる。3章では文学賞について、4章では作家のオリジナリティについて語られている。オリジナリティというのはおおざっぱに言うと「作品に現れたその人らしさ」のことだが、これは不変のものではなく、むしろ「時間の中で発展していくもの」だという。面白い見方。

午前中に博論を進める。昨日につづき、ここ二週間くらいで書いた部分の書き直し。

午後から市立図書館へ。ニーチェの『善悪の彼岸』を読む。第一章「哲学者の偏見」では「真理への意志」の背後に潜む価値判断が主なテーマとなる。認識衝動はいくつかの動物的欲望によって突き動かされているということ。

翻訳を進める。難しい!

森博嗣『森博嗣のツールボックス』を読む。書店で新しく文庫になっているのを見つけ購入したが、読んでみると2000年代にパソコン誌上で書かれたコラム・エッセイの再録だった。作者の工作道具とレトロ趣味について、一般読者には易しくない語り。ふと思い立って久々に著者について調べてみると、現在は「引退」宣言後の幕引き作業を着実に進めており、つい最近ホームページ「浮遊工作室」の更新も終了したとのこと。高校生のころは新刊の小説はもちろん、こちらのホームページも毎日チェックし、その手作り感というか、なんでも自分でクラフトしてしまう職人気質に憧れた。「手作り」の楽しみは、本書の主題でもある。

steamのNo, i'm not a human.をプレイ。太陽の異常活動によって夜しか活動できず、しかも人間に擬態した地底人(?)が徘徊する終末的世界で自宅に立てこもり、避難所を求めてやってきた人々を選別して仲間を増やしていくゲーム。良作。

風邪が治ったので筋トレを再開。軽く腕立てと腹筋をした。

中川純子『音読で学ぶドイツ語』のおさらいをつづける。「うちの猫がおそらくすぐに戻ってきます。」は"Unsere Katze sind wahrscheinlich bald zurück."(50/155)

 

20260904 日記 

金曜、くもり。10時起床。

昨日は夜更かしをしてしまい、一日眠い。

昼から市立図書館で博論を進める。

夕方に翻訳。

金曜の夜はyoutubeで毎週配信されているHunterHunterのアニメを観るのが習慣になりつつある。

 

20260905 日記

土曜、晴れ。9時起床。

村上春樹『職業としての小説家』を読み進める。日常の経験を記憶しておくことの大切さ。

午前中に博論を進める。

午後に翻訳を進める。

ぴえ太『ニンゲンの飼い方』を読む。図書館で偶然手に取ったが、面白い! 小中学校の図書館に置くとよいと思う。

100均で「クワズイモ」を購入。美しい。ディフェンバキアの鉢を交換。ひょろひょろなので冬を越せるか心配である。

 

 

日記 0823-0829

 

20260824 日記

月曜、くもり。夕刻から激しい雨。8時起床。

Hunter×Hunter 418話♢仮定。ツェリードニヒ視点で特殊戒厳令の一件が語られる。ツェリードニヒの能力の整理。テータとの関係。

朝から仕事。夜に意地で博論を進める。

 

20260825 日記

火曜、くもり。11時起床。久しぶりの休み。夜のうちに激しい雨。

午前中に部屋の片づけをする。

昨日は疲れていたので今日は一日休むつもりが、結局、昼から図書館へ。少しだけ博論を進める。

服部龍二『広田弘毅』を読んでいる。福岡の出身で、戦後に死刑判決を受けた唯一の文官、というくらいの認識しかなかったが、城山三郎の歴史小説で理想化されてきた人物らしい。本書は史実に即した広田像を描きだそうとするものだが、前半部を読むかぎり人間味はあるし優秀なものの、ずば抜けた才覚の持ち主ではなかったようである。

夜に二つほど事務的な仕事を片付ける。月末が近い。

薄井ゆうじ「ドードー鳥の飼育」を読む。不思議な味わい。

こういう怠けた日が何日も続いて休暇が終わってしまうのではないか。なんとなく、明日から早起きしたい気分。

 

20260826 日記

水曜、曇り。10時半起床。

早起きしようと思ったが、結局できなかった。なにか朝の楽しみを見つける必要がある。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読み進める。巨大資本によって生まれ変わったドルフィン・ホテルの謎が徐々に明かされていく。前作ではみすぼらしかった札幌の街にも変化が。

市立図書館で博論を進める。昨日よりは集中して進められた。

朝起きて日中にyoutubeを見ない作戦は継続中。SNSは時々見てしまうので、明日からやめにしたい。

服部龍二『広田弘毅』を読み進める。外相時代にソ連との緊張緩和に成功して以降は目立った活躍のなかった広田は、首相になってさらに凡庸になり、中国との関係は日増しに悪化し、首相を退陣したのち近衛文麿政権で外相に再登板すると陸軍の意向に唯々諾々としたがう情けない政治家になってしまう。広田が極悪人であったとか、逆にものすごい善人であったりすればまだ救いのある話なのだが、途中から疲れ切った普通のおじさんが大勢に流されていくだけなのがやるせない。

「ネメデール」が効いているのか観葉植物が育ってきたので、夜に鉢の植え替えをした。それ以外の仕事はしなかった。

寝る前に、今日の掃除で発掘した中川純子『音読で学ぶドイツ語』を再読する。20/155

 

20260827 日記

木曜、晴れ。9時半起床。

少し早起き。村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読み進める。羊男との再会。

軽い運動や部屋の掃除を挟みながら論文を進める。結晶の例。新プラトン主義とショーペンハウアーの「イデア」概念。徐々に話の流れが整理されてきた。

Thomas BerhardのGehenを読む。"Denn alles, was gedacht wird, ist überflüssig. Die Natur braucht das Denken nicht."

パノフスキー『イデア』を読了。マニエリスムから古典主義へ。ルネサンスが中世の芸術理論を否定する際にただ「自然の模倣」を目標に掲げればよかったのに対して、古典主義はマニエリスムを否定すると同時に素朴な自然主義も拒絶しなくてはならなかった。

服部龍二『広田弘毅』を読了。軍部と大勢と楽観に流された広田はついに極東裁判所で死刑判決を受ける。すべてを受け入れ死刑台に向かう姿も、そもそも戦争中から諦めたような態度だっただけに、潔さというよりはもの悲しさを感じた。死を受け入れることと、みずから命を賭すことには大きな違いがある。戦時の指導者には後者の態度こそ求められていたが、広田はそれを発揮できなかった。結論として筆者が述べているのは、広田は決して軍部と戦ったにもかかわらず死刑となった悲劇の宰相だったわけではなく、むしろ軍部と妥協を重ねた戦争責任者であった、ということである。読者の内なるリアリズムを鍛えてくれる良書。

サイモン・クリッチリー『ヨーロッパ大陸の哲学』を読了。後半の5章ではニーチェのニヒリズム概念が検討される。カント以降、価値の超越的源泉は否定され、価値は「みずからを無効化する」。この価値の無効化はある意味で必然的な過程であって、なぜならキリスト教的価値は「真理への意志」によって支えられているが、この真理への意志はやがてキリスト教の信仰そのものに背くことになるからである。とはいえ私たちは生成する世界を直視するほど強くはないので、ここからニヒリズムが生じる。著者によれば、大陸哲学にとっての「問題」は、このニヒリズムをいかに克服するかにある。6章ではカルナップによるハイデガー批判をテーマに、分析哲学と大陸哲学の相容れなさの典型的なケースが紹介される。ハイデガーの「無」をめぐる形而上学的思考は、カルナップから見ると無意味なたわごとである。けれどもカルナップの哲学では、たとえば人間存在の「不安」について思考することはできない。両者を仲介する可能性として挙げられるのは、後期ヴィトゲンシュタインの思想である。7章の結論部で、著者は科学主義と非明晰主義を望ましくない二つの極として退けている。科学主義とは自然科学の認識をありうる唯一の認識とみなす立場であり、「存在」や「無」や「身体」といった大陸哲学の主要テーマを「無意味」なものとして排除する。これに対して大陸哲学は多かれ少なかれ反科学主義を掲げるが、これは必ずしも非明晰主義を意味するわけではない。ニーチェが指摘する「ニヒリズム」──知識は生の意味を失わせる──を真面目に引き受け、世界をこのニヒリズムから解放しようとするのが大陸哲学である。本書の軽快な語り口は哲学について語ることの楽しさを教えてくれる点でも魅力的だが、惜しいかな、訳文の筆力が微妙に追いついていない。決して悪い訳ではないのだが。

 

20260828 日記

金曜、9時半起床、曇り時々雨。

午前中に論文の検討会。午後から博論を進める。

草間彌生が97歳で死去。ドイツでもニュースで大きく取り上げられている。最近もケルンのルートヴィヒ美術館で展覧会があったらしい。

冷えてきたせいか軽い風邪をひいてしまい、くしゃみが止まらない。

 

20260829 日記

土曜、晴れ。9時起床。

昨日に引き続き、鼻風邪をひいている。

早起きグッズとして購入したsangeanのFMラジオが届いたので流してみた。驚くほど音が良い。買ってよかった。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読み進める。映画館で意外な再会。

ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』を読了。マシュマロ・テスト自体のテーゼは「目の前のマシュマロの誘惑に耐えられた子供は大人になってから社会的に成功する」というものだが、本書はむしろ「誘惑を先延ばしにする意志の力は先天的なものではなく、あとから鍛えられる」という主張の根拠づけと、先延ばしの実践的なテクニックの紹介に割かれている。つまり著者が言いたいのは、(1)「目の前の欲望に耐えられる能力は社会的成功をもたらす」と(2)「この能力は誰でも鍛え、伸ばすことができる」の二つである。「マシュマロ・テストの結果は後の研究で否定されている」という指摘を本書の批判として持ち出すのは筋違いであろう。

市立図書館で博論を進める。今日はよく進んだ。明日からニーチェに進む。

風邪気味なので葛根湯を飲む。

 

 

日記 0816-0822

20260816 日記

日曜、晴れ。10時起床。

サイモン・クリッチリー『ヨーロッパ大陸の哲学』を2章まで読む。序章では「知恵」と「知識」の対立、第一章ではカントを起点とする西洋哲学の分裂、第二章ではイギリスにおける合理主義哲学と非合理主義哲学の両極について、軽快な調子で語られる。

研究室の観葉植物に「ネメデール」を与えてみた。

ホフマンスタール『第六七二夜のメルヘン』は「背後からの視線」を手掛かりにすれば読み解けそう。

 

20260817 日記

月曜、晴れ。10時起床。

加藤尚武『環境倫理学のすすめ【増補新版】』を読む。資源の枯渇よりも、人口増加と二酸化炭素の放出による温暖化のほうが喫緊の問題である。

 

20260818 日記

火曜、くもり。10時起床。

午前中に論文を少し進める。

「リメディアル教育」とは教育が遅れている人の基礎的な学力を補うような教育のこと。つまり補習。

スティーブ・オーディンの論文「無我の歓喜としての美」をダウンロードして読む。西田とショーペンハウアーの美学を比較した論文。博論の内容と関連していて興味深い。

「契約」とは「それを守らなければ法律で罰せられる約束」のこと。

 

20260820 日記

水曜、曇り。10時起床。

博論を少し進める。ショーペンハウアー関連の記事に目を通す。

国旗損壊罪では表現の自由が鍵となる。他者危害の範囲をどこまで拡大するか。国旗を損壊して、それが誰の何を傷つけることになるのか。

赤根智子氏がトランプ政権から制裁対象に。とりあえず著書を購入。

 

20260821 日記

木曜、晴れ。10時半起床。

明日の会議に向けて資料を作成。事務の方に明日の段取りを確認。慌ただしく一日が過ぎる。

博論の執筆を進める。わずかだが、重要な進展。生きんとする意志は、自己を認識しようとする意志でもある?

 

20260822 日記

金曜、晴れ。9時半起床。

ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読み進める。

 

20260823 日記

土曜、晴れ。9時半起床。

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読み始める。『風の歌を聞け』から読み継いできたが、今のところ一番好きな小説かもしれない。

博論を進める。白水社の『意志と表象としての世界』を読む。こちらはこちらで分かりやすい。

南賀なん『999号室』を読む。面白い。

 

日記 0809-0815

20260809 日記

日曜、晴れ。11時起床。

NHK将棋杯は大橋・菅井戦。振り飛車の仕掛けが参考になる。解説の千田先生が明快でよかった。

村上春樹『羊をめぐる冒険』を読み進める。ついに羊をめぐる冒険がはじまる。主人公と耳の美しい恋人は札幌へ。札幌の街は住んでいる人間含め妙にくすんだ色合いで描かれている。とはいえ「うんざりするほど直線的」で「方向感覚がなくなる」というのは同意かもしれない。羊博士の登場。新たな情報を得て二人はさらに北へ。

ここ一週間の日記を見直し、少し推敲したものをまとめてはてなブログに投稿。ひとつ面白い文章があったので、小説風に書き直してみた。日記を見直す、ということはこれまでやってこなかった。

昨日宣言した通り、今日から日中はSNSを見ないことにする。

風邪で中断していた運動を再開。腕立て、腹筋、ランニング。

ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』を読み進める。「人格の表出」という興味深いテーマ。ある人の性格ないし倫理的態度は、必ずしもあらゆる状況下で一貫してあらわれるわけではなく、特定の状況下で強く表出する。つまり一貫性は「もし~なら……する」という条件のもとにある。たとえば、多くの場合に理性的で倫理的な判断が下せる人でも、ある特定の状況下では誘惑に負けてしまうことがありうる。この場合、この人の性格ないし人格は前者にあらわれているのか、それとも後者にあらわれているのか? ここは意見が分かれるような気がする。普通、私たちは、誰かを「思慮深い」とか「責任感が強い」とか言って評価するとき、前者の観点から見て言っている。これはいわば表の評価であり、全般的な評価である。しかし、その人の本当の性格は、ミシェルが指摘するように「もし~なら……する」という一貫性のほうに表現されているとしたらどうだろう? こちらの評価を下すには時間と注意力を要する。「この人は怒りっぽいが、ただし……ときにしか怒らない」、「この人は我慢強いが、ただし……の時は別だ」のように、その性格が表出する条件を見定める必要がある。教育者はこの条件を見抜くことで、相手をより良い行動へと導けるかもしれない。もちろん、こうした観点は自分を反省するためにも有用である。

 

20260810 日記

月曜、晴れ。10時起床。

ホフマンスタール『第672夜のメルヘン』を読了。が、うまく呑み込めなかったのでもう一度はじめから読み始める。主人公の商家の青年は裕福な独り身の生活を送っている。青年はナルシストで、若者に特有の全能感に浸っているが、ある種のコンプレックスを抱えてもいる。それは彼が実質のない生活を送っているからで、青年は彼の屋敷にいる三人の召使と、そのうち一人の遠縁の娘の目を恐れている。

村上春樹『羊をめぐる冒険』を読み進める。羊博士との会話で写真に写っている牧場の所在地を突き止めた二人は、旭川を経由して「十二滝村」へと向かう。十二滝村の歴史。

Hunter×Hunter417話「有事」。有無を言わせずツェリードニヒを撃ち殺したベンジャミンは、残りの王子の確保を急ぐ。バルサミコは人格が元に戻った状態、コベントパはコインによって半分操られた状態(意識はあるが、チョウライに逆らうことができない)で帰還。ベンジャミンはあいかわらず無敵モードで何も怖くない。招集に大人しく応じたツベッパとタイソンもウイルスに感染させてしまう。ベンジャミンの守護霊獣の能力も明らかに。

 

20260811 日記

火曜、晴れ。11時起床。まだくしゃみが出る。

日中のSNS断ちは継続。

近所のイタリア料理店でカレーを食べる。

腕立て、腹筋、ランニングをする。

 

20260812 日記

水曜、晴れ。11時起床。6時前に目が覚めてしまったので、二度寝。

普段はyoutubeの動画を見ながら寝るのだが、昨日はめずらしく読書しながら寝た。

何を読んでいたかというと、貝原益軒の『養生訓』である。自分の体は親からもらったものなので大事にしましょう、人生長生きしないと本当に生きたことにはならない、一日一日を大事にし寸暇を惜しんで働きなさい、という抽象的なお説教と、体を健康に保つための妙に具体的なアドバイスが交互に繰り返される。そのアドバイスのなかでも最も頻繁に繰り返されるのは、座りっぱなしは良くない、食べた後に寝てはいけない、とにかく歩け、というものである。これは現代医学の見地からしても的を射ているのだが、益軒先生はこの論を生気論的に説明していて、運動とは体内の「気をめぐらす」ためのものである、という。「元気」を減らすのはもちろん、それを「滞らせる」のもよくない。元気を減らさないためには欲を慎む必要があり、気を巡らすためには体を動かさなければならない。

夕食は住んでいる街から一駅離れたココ壱番屋へ歩いて行ってきた。遠くもなく、近くもなく、まさに一駅分の距離にある。めずらしくタブレットを使わずに注文する店舗で驚いた。帰りは隣町の駅から汽車で帰ってきた。

 

20260813 日記

木曜、晴れ。10時半起床。昨日もよく眠れず。

ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』を読み進める。意志や気力を歯磨き粉のようなものだと考える人、つまり消耗品だと思っている人は、意志や気力に対してそうしたイメージを持っていない人よりも、意志的活動を持続させることができない。意志の集中を要する仕事を終えた後に、また別の仕事へと取り掛かることができない。なぜならその人は最初の仕事で自分の気力を使い切ったと思いこんでいるからである。これは昨日の『養生訓』の話とつながる気がする。つまり「気」がオーラのようなものだとして、それを「働かせる」ことは決してそれを消耗することではなく、むしろ「めぐらせる」ことなのである、と考えることはできないか。食事をした後に運動をするように、ある仕事から別の仕事へと移っていくことはできないか。

村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読了。主人公と耳が美しい恋人は鼠が住んでいる別荘にたどり着く。しかし別荘に鼠はおらず、彼女もすぐに姿を消してしまい、主人公はそれが彼女との永遠の別れなのだと悟る。羊男が登場し、主人公は別荘で料理をしたり掃除をしたりしながら、鼠を待つ。しかし鼠は現れず、羊男との対話で主人公は鼠が死んだのだと気づく。鼠は幽霊となって姿を現し、自分のうちに星のマークを付けた羊が入り込んだこと、ゆえに自ら命を絶つことで羊の息の根を止めたことを告白する。主人公は別荘を去る。

別荘に到着してからの物語は『街とその不確かな壁』に通じるものがある。何が現実で、何が現実でないのか、その境界がぼやけていく。

 

20260814 日記

金曜、晴れ。10時起床。

夜は仕事もせずに遊んでしまった。今日は早く寝る。

 

20260815 日記

土曜、晴れ。終戦の日。12時起床。昨日は寝苦しくてよく眠れず。黙祷のサイレンで目が覚めた。

寝不足で頭が重いので、事務的な仕事を片付ける日にする。

 

 

日記 0803-0808

20260803 日記

月曜、晴れ。11時半に起床。あいかわらずちょっと風邪気味。こういうときは早起きできない。

村上春樹『羊をめぐる冒険』を読み進める。羊をめぐる冒険はまだはじまらない。「先生」の邸宅を出たのち、「人がいるところに行きたい」と考えた主人公は新宿のバーへ行き、黒服の男からもらったお金で食事をとる。

将棋で6連敗。風邪気味で頭が回らない。

ドイツ語のOmaが「おばあちゃん」であることを毎回忘れてしまう。

Hunter×Hunterは416話「発令」。特殊戒厳令を発令後、ベンジャミンはカミーラの部屋へ乗り込む。拘束の際にカミーラの親衛隊から呪いを受けるが、ベンジャミンも例のウイルスをカミーラに感染させる。そもそも10時間後には死ぬ予定なので、呪殺もカミーラの念能力も怖くない。さらにツェリードニヒのもとへ向かうが、ツェリは自身の念能力でベンジャミンに幻影を見せるべく待ち構えていた。

夜に風邪の症状が出始めたので、葛根湯の錠剤を呑む。

 

20260804 日記

火曜、晴れ。9時起床。昨夜はよく眠れなかった。

ドイツ語のabbiegenは「脇にそれる」。

『ワンパンマン』を最新話まで一気に読む。この漫画はガロウ編が終わって以降、迷走している感じがある。新興のネオヒーロー協会が着々と力をつけ、長らく先延ばしにされていたアマイマスクの件が落着。

ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』をひきつづき読む。「未来の自分をどれだけ具体的にイメージできるか」が欲求充足の先延ばし戦略にとって重要である。未来への心理的距離を近づけることで、脳に警鐘を鳴らすことができる。中高生のころ、スポーツマンは「イメトレ」をする、という話があり、眉唾だと思っていたのだが、この文脈ではかなり有効らしい。たとえば老後の暮らしを具体的にイメージすれば貯金を増やそうとするだろう、癌になって苦しむ姿を想像すればタバコをやめるだろう、ということ。

 

20260805 日記

水曜、晴れ。8時起床。

shu3の『ネタバレが激しすぎるRPG』実況を見る。意外と面白いゲーム。

 

20260806 日記

木曜、晴れ。10時起床。

ホフマンスタールの「メルヘン」を再読しはじめる。「運動の至福と安息の崇高。舞踏の躍動と死の静謐。」

駅ビルにあるラーメン屋に初めて行く。まずまずの味。

 

20260807 日記

金曜、晴れ。9時起床。

午前中に論文検討会。陽キャ、パリピ、DQNのパラダイム上の意味連鎖について考える。

ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読み直す。いろいろと発見がある。

夜に駐車場から下の通りへ下っていくときれいな虫の音が聞こえるようになった。

 

20260808 日記

土曜、曇り。10時起床。

外に出ると霧のような小雨。市立図書館に向かう。

ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』のつづき。クールシステムを稼働させるため、自分を客観視するテクニック:「壁にとまったハエの視点」。これはハエの視点になって自分を客観視する、というもの。たしかに、部屋にいる人間以外の他者で最も身近なのはハエなのかもしれない。日本人なら「ご先祖様」とかでもいける?

拒絶感受性(RS)というものがある。

対義語についてのメモ:必然の否定からは「蓋然」が、必然の反対からは「偶然」が導かれる。善と悪は厳密な意味での対義語である。光と闇も対義語である。生存者の対義語は死者である。「人間」と「ゾンビ」は対義語ではないかもしれない。「人間」と「動物」が対義語ではないように。

博論を進める。並行してショーペンハウアー『意志と表象としての世界』を読み進める。以前関心を持って読んだところとは別の箇所が面白い。

夜更かししてしまったので、早く寝る。明日から日中にSNSを見ることを自分に禁じようと思う。

 

井伏鱒二「山椒魚」(新潮文庫)

もとは「幽閉」という題である。なぜか住処の岩屋で三年も怠惰に過ごしていた山椒魚はある日身体が大きくなりすぎて自分の住まいを出られなくなったことに気づき、自由を求めて脱出を試みるが上手く行かず、日がな一日部屋の外を眺めて過ごすほかなくなる。部屋の外は水中で水草が生え、その間を目高や蛙が泳ぎ回り、これらはSNSによって伝達される大半の情報がそうであるように山椒魚を苛立たせる。苛立ちはやがて悪意に変わり、山椒魚は岩屋に迷い込んだ蛙をみずから閉じ込めてしまう。二匹は諍いののち冷戦へと突入するが、蛙が死の間際に意外な言葉を放つところで物語が終わる。

 

そもそも三年も岩屋に居て平気なくらいなので、時間感覚は人間とよほど違っているらしい。皮膚感覚もどちらかというと岩石に近く、無機物的である。冬になれば一時的に仮死の状態となり、春とともに目覚める。そんな生き物がなぜか人間のような思考をして、人間のような言葉をしゃべる。ここにある種の可笑しさがあるように思う。